人生の選択に迷うあなたへ:キルケゴールの『あれかこれか』に学ぶ決断の哲学
人生における選択の重みと、そこに潜む不安
私たちの人生は、大小さまざまな選択の連続です。どの学校に進むか、どの仕事を選ぶか、誰と人生を共に歩むか。現代社会は選択肢に溢れ、それは時に自由であると同時に、深い迷いや不安の原因となることがあります。特に人生の転換期においては、一つの選択が未来を大きく左右するように感じられ、決断を下すこと自体が重荷となるかもしれません。
この「選択の迷い」という人間の根源的な問いに対し、19世紀のデンマークの哲学者セーレン・キルケゴールは、その著作『あれかこれか』を通じて深く考察しました。彼の思想は、単なる選択肢の提示ではなく、選択という行為そのものが私たち自身の存在をどのように形作るのかを問いかけています。本稿では、キルケゴールの思想から、人生の迷いを晴らし、主体的な決断を下すためのヒントを探っていきます。
キルケゴールが問う「あれかこれか」:二つの実存様式
キルケゴールが提示した「あれかこれか」という言葉は、人生における根本的な選択、すなわち二つの異なる実存様式の間での選択を意味します。それは具体的には「美的実存」と「倫理的実存」の対比として描かれています。
美的実存とは、快楽や感覚的な満足、好奇心の赴くままに生きる生き方です。目先の享楽を追求し、退屈を避けるために常に新しい刺激を求めます。この生き方は、瞬間的な喜びをもたらしますが、根本的なコミットメントや責任を回避するため、真の自己確立には至りません。キルケゴールはこれを、多くの可能性を前にしながらも、最終的な選択をしない状態と捉えました。
一方、倫理的実存とは、責任を引き受け、普遍的な道徳法則や自己が確立した価値観に従って生きる生き方です。特定のコミットメント(結婚、職業、社会的な役割など)を受け入れ、その中で自己を形成していきます。この選択は、美的実存のような刹那的な快楽とは異なり、重い責任を伴いますが、それこそが真の自己を確立し、人生に意味を与える道であるとキルケゴールは説きました。
キルケゴールは、この二つの実存様式のどちらかを選ばなければならないという「あれかこれか」の選択を、私たち自身の存在に関わる根本的な問いとして提示したのです。これは、単に二つの選択肢の中から一つを選ぶという以上に、どのような生き方をするかという、自己そのもののあり方を問う選択なのです。
選択の深淵に現れる「不安」の役割
キルケゴールは、人間が自由な選択を行う際に、常に「不安」が伴うと指摘しました。この不安は、将来への漠然とした心配事や日常生活におけるストレスとは異なります。キルケゴールが語る不安とは、無限の可能性を前にして、その中から一つを選び、残りの可能性を捨てるという自由な選択の瞬間に生じる、根源的な感情です。
彼は「不安は自由のめまいである」という有名な言葉を残しています。目の前に広がる無限の可能性の海を前にしたとき、私たちは圧倒され、何を選べば良いのか分からなくなる。このめまいのような感覚こそが不安であり、それは私たちが自由な存在であることの証でもあります。私たちは何かになることも、ならないこともできる。この選択の自由が、同時に「どのようにもなれる」という漠然とした恐怖、すなわち不安を生み出すのです。
しかし、キルケゴールにとって、この不安は単に避けられるべき負の感情ではありません。むしろ、不安は私たちを自己意識へと目覚めさせ、責任ある決断へと促す重要なサインであると捉えられました。不安を感じるからこそ、私たちは自分の選択に真剣に向き合い、その結果に責任を持とうとします。この不安を乗り越え、主体的な選択を下すことによって、私たちは「ほんとうの私」へと近づいていくことができるのです。
現代に生きる私たちへのヒント:決断を通じた自己確立
キルケゴールの思想は、現代を生きる私たちにどのようなヒントを与えてくれるでしょうか。
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選択を恐れず、主体的に決断する勇気 現代社会は情報過多であり、選択肢の多さが、かえって決断を困難にしています。「もっと良い選択があるのではないか」「失敗したらどうしよう」という不安から、決断を先延ばしにしてしまうこともあるでしょう。しかし、キルケゴールは、決断こそが自己を確立する道だと説きます。完璧な選択を求め続けるのではなく、目の前の選択に主体的に向き合い、責任を引き受けることで、私たちは自分自身の「倫理的実存」を築いていくことができます。
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不安を自己成長の機会と捉える 新しい挑戦や人生の転換期には、必ず不安が伴います。この不安を単なる「怖いもの」として避けるのではなく、キルケゴールのように「自由のめまい」と捉えてみてください。不安を感じるのは、あなたが自身の可能性と真剣に向き合っている証拠です。その不安を手がかりに、自己の内面と対話し、何を本当に大切にしたいのかを見つめ直す機会として活用してみましょう。
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責任を引き受けることの意味 倫理的実存が示すように、私たちが下した決断には、必ず責任が伴います。この責任を自覚し、その結果を受け入れることこそが、私たちの人生に深みと意味を与えます。自分の選択に責任を持つことは、誰かに依存する生き方から脱却し、自分自身の足でしっかりと立つことにつながるのです。
キルケゴールの思想は、人生の選択に直面したとき、私たちが単に外部の基準や他者の意見に流されるのではなく、自己の内なる声に耳を傾け、自らの意志で決断を下すことの重要性を教えてくれます。迷いはあっても、その迷いの中にこそ、自己を見つめ直し、成長する機会が隠されているのです。
迷いを越え、自分らしい人生を歩むために
人生は、不確実性の中での選択の連続です。時には後悔することもあるかもしれませんし、別の道を選んでいたらと考えることもあるでしょう。しかし、キルケゴールの思想は、その一つ一つの選択と、それに伴う不安や責任の引き受けこそが、私たちを真の自己へと導くプロセスであると示唆しています。
人生の岐路に立ち、どちらに進むべきか迷ったとき、キルケゴールの「あれかこれか」という問いを思い出してみてください。それは、あなたがどのような人間として生きたいのか、どのような価値観を大切にしたいのかを、自らの内面に問いかけるきっかけとなるでしょう。この深い問いかけを通じて、あなた自身の「決断の哲学」を見出し、自分らしい人生を主体的に歩んでいくことを願っています。